2025年5月 7日 (水)

堀作蔵

よもやま話「南陽寺境内の長寿椿と記念碑」 http://www.nanyouji.net

堀作蔵が練兵館の塾頭であったと見つけたので年代とか調べていたら、なんか変なんです。
これによると、作蔵は丹波園部藩の力士で、藩士に角力を教えるため召し抱えられた

作蔵の日記のようなものが引用されていました。
文久三年16才、江戸へ出て斎藤塾で修行、その時は二代目弥九郎であった。
数年後塾頭となり、20才で京都へ出るまで務めた。
その後岩倉具視公の供奉の任についた。

文久三年(1863)から逆算すると、弘化四年(1847)生まれ。
慶応三年(1867)に20才。

 

練兵館歴代塾頭は原保太郎までわかっている。

原がいつまで塾頭だったか調べてみたら、園部藩原官次の三男、弘化四年(1847)生まれ、慶応三年(1867)岩倉具視の食客となる。
と、ウィキペディア、その他に書かれていた。

もしかして、堀作蔵が原官次の養子になったのかと目を皿のようにしてウィキペディア、その他を読んだけれど、そういうことは一切書いていないのでありました。

でも同一人物の可能性99%。
上記の堀作蔵の日記には、自分のことを「余は…」と書いている。
当時の偉い人って「余は」って言ってるよね、木戸孝允もそうだったね。

ということはやはり、堀作蔵=原保太郎 か⁉

堀作蔵という力士についてもデータが出てきませんわ。
原保太郎の日記のようなものも探し出すのに時間かかりそう。あるはず。

今日はここまでじゃ。

 

 

2025年4月30日 (水)

今年のたけのこ

前に勘之助がそんなにお参りに来なくていいよと言ったので、去年はずるずると行かなかった、たしか、サボリ。
今日行ったら、すっごい落ち葉がいっぱいだった。ゴミ箱に二往復してもまだまだあったので、お掃除のおじさんがごみ袋一枚をくれた。
それでも入りきらなくて、あとは、また今度ねということにした。

今度とお化けは出たことがない…とか言ったっけ?

それはともかく、たけのこ二本発見。さすがに歓之助の墓石には生えていなかった(*^▽^*)

ご住職がウォーキングカーを使っていましたが、ご健在でした。
満平商店の関係者はあなただけになったね…
歓之助より、満平なんだよね。

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2025年4月28日 (月)

桂生誕190年

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見たい、行きたい、山口かぁぁ

2025年3月14日 (金)

微神堂170年の写真

酒井辰郎 インスタで検索すると、2024.11.10の記事があります。@tatsu_mind
微神堂道場創建170年記念祝賀会の写真がいっぱい。
道場に剣士が集合。壮観です。

斎藤歓之助先生だって、先生
今でも先生と呼ばれる勧之助って、すごいの…ね。
気の合うお兄さんて感じだから、呼び捨てだし、たまにお願い事なんかもしちゃってましたが。
それに、助け舟をよく出してくれるし、ね!(^^)!

ごめんね、勧之助、これからもよろしくです。

2025年2月26日 (水)

木がなくなりました

2月18日、歯医者の帰りにお墓に寄りました。
楓か紅葉か私には区別がつかないのですが、その木が切られていました。
世の中は変わっていきます。

Img_3489_20250226164701  Img_3490_20250226164701 

本日は2月26日。一週間もたってしまいました。
18日朝一、起動したとたんにパソコンが壊れ、三日間パソコンなしで新しいパソコンは使い勝手が違ってモタモタシテいたら、23日自分がダウンして三日間寝込みました(T_T)
大変な一週間でした。

 

 

 

2025年1月 3日 (金)

没後127年

令和7年1月3日、1月3日は歓之助の命日。お墓参りに行ってきた。
なんて、ね、年末29日に行こうと予定していたのが他の用事が入って行かれなくなり、たしか一月が命日だったと気が付いて今日にしただけ。

ひんぱんに来なくていいよと言われたから、ついついさぼってしまいましたよ(≧▽≦)
去年は大村藩にも行けなかった~

今日は雨が少し降って良かった。

計算したら、歓之助亡くなって127年目(計算間違ってたら教えてください)
あの墓石は127年前の…

2024年12月 8日 (日)

M田さん逝く

ひいおじいさんが代々木山荘のご近所さんだったM田さんが11月に亡くなりました。享年80才。
寂しいです。もっとお話ししたかった。

じいちゃん、M田さんとひいおじいさんをお茶に誘って(お酒でもいいけど)たくさんお喋りしてくださいね。

2024年12月 6日 (金)

微神堂 170年

ネタ提供ありがとう、歓之助。

11/9 に微神堂道場創建 170年記念演武大会がありました。

嘉永7年(1854)  玖島城下上小路に創建
    ↓
明治45年(1912) 渡辺昇により玖島城跡に移築された
    ↓
大正7年(1918) 旧西大村役場の敷地に移築
    ↓
令和6年(2024) 現在に至る

微神堂のフェイスブックを見ると、床板がやけに傷んでいて古いなあと感じていたら、170年前のかい!(≧◇≦)
大村のみなさん、ありがとう!
あの道場の隅の方に歓之助が座ってビシバシ指導していたんだなぁ~
うちの親が剣道を習わせてくれていたらなぁ…

写真の正面左側にある肖像は誰のだろうと、拡大したけれど文字が読めるまでの拡大はできなかった、残念だ。
渡辺昇にしては細いな、と。

微神堂に関しては、2020,6/27 微神堂、2020,7/1 命名 微神堂 もあり。

2024年11月18日 (月)

鰯のヌタ

太郎と弥九郎(飯沼青山著)に、濁酒を吞みながら新太郎や歓之助と談論、小五郎もしばしば呼ばれ、肴は鰻の肝や鰯のヌタであると書かれている。
鰻の肝は渡辺昇がよく買いに行かされたと言っていたけれど(2020.5/30 鰻の肝が好き)、ヌタね。ヌタは美味しいけれど鰯が入っているなんて贅沢じゃのう、じいさんよ。私は長ネギの記憶しかない。
それでこのヌタは魚屋で買ってきたの?岩お母さんが作ったの?

当時、自宅がどこにあったのか、わからないのですよ。
練兵館とつながっていれば、岩お母さんが作った可能性あり、別棟に住んでいたら距離によるね。
自宅についての記載が出てこないし、地図を見ると敷地はさほど広くはないようだから、どうでしょうねえ?
じいちゃんでも歓之助でもいいから、今度出てきて教えてくれい<(_ _)>

2024年10月30日 (水)

三計塾

儒者安井息軒が江戸に開いた私塾、三計塾(天保10年・1839開講)で、桂小五郎と渡辺昇が出会いました。

安井息軒、三計塾については、「宮崎県郷土先覚者 安井息軒 https://www.pref.miyazaki.lg.jp」に略年表等細かく載っていますので、どうぞご覧ください。

桂小五郎は嘉永5年(1852)江戸に来て練兵館に入門し、三計塾には〈過訪〉という形で学んでいたようです。

渡辺昇は安政5年(1858)江戸に越してきて、安政巳未正月…安政6年(1859)に三計塾に〈及門〉となりました。

そうして渡辺昇は桂に誘われて練兵館に入門しましたが、昇は江戸に出る以前大村藩にある歓之助の道場微神堂(たぶん嘉永7年頃~)で稽古を積んでいたのだ。
ここで私は歓之助と桂が同い年で、渡辺昇が五つも下だったと知ったのでした。私が得た史実や情報は虫食い状態で埋まっていっているので一つ一つがつながっていないから、自分で書いてて驚いているんですわ(^▽^;)

故舊過訪録・遊従及門録(安井息軒著、安井小太郎 明治30年11月出版)の国立国会図書館デジタル版を見ると、この二人以外に私が知ってる名前が載っていました。

藤田東湖、品川弥次郎、太田市之進、谷干城、陸奥宗光…まだ見つかるかも。
それで、誰が〈故舊〉で誰が〈及門〉かとか探してみると楽しいかも(≧▽≦)  

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